正教会建築を巡る ロシア旅行記
こんにちは!今週のブログを担当させていただくのは2年の関川です。
突然ですが…
この画像に惹かれたあなた!ようこそ、正教会の世界へ。
私はこの、ロジェストヴェンスキー聖堂の画像を見て、このイコノスタス、フレスコ画、数々のイコンに惹かれてしまい…
今年の2月に、気づいたら一人でロシアに向かっていました。今回は、「正教会建築を巡る」をテーマにその旅で訪れた スーズダリ、ウラジーミル、サンクトペテルブルク、モスクワの旅行記を書こうと思います。
【正教会とは?】
東方正教会やギリシア正教とも呼ばれる正教会は、東の総主教と西の教皇の対立から生まれました。
キリスト教は392年にローマ帝国の国教となります。しかし、ローマ帝国は395年に東西に分裂してしまいます。この時期、もっとも有力な教会だったローマ教会は、西ローマ帝国に属しており、のちにカトリック(=「普遍」が語源)と呼ばれるキリスト教最大の宗派を形成していきます。一方、東ローマ帝国では、コンスタンティノープル教会が東ローマ皇帝を首長に置き、ローマ教皇を頂点とするローマ教会と対立するようになっていきました。5世紀以降、教義上の理由でさらに対立は深まり、1054年に東の総主教ケルラリオスと西の教皇レオ9世が互いを破門したことで、東西教会の分裂は決定的となりました。その結果、東ローマ帝国のキリスト教はビザンティン皇帝の庇護のもと初代教会以来の伝統を維持し、またオリエント文化との関わりのなかで独自の伝統として発展していきます。
東西の教会では、三位一体論の解釈や、十字架の形状、秘跡の定義など、教義や儀礼に細かい違いがあります。ただ、分裂の主な要因は地理的、政治的なものなのです。
このような背景から正当性を強く主張しなければならなくなり、正教会・オルソドックス(=正統)という教会となりました。またこの名称は正しい教えを説くという意味だけではなく、正しい教義が正しい祈りの中にあるという立場も表しています。
日本へは江戸時代末期、函館のロシア領事館づきの司祭として来日したニコライによって伝道されました。
【ロシアにおける正教会の歴史】
ロシアにおける正教の歴史は9世紀のビザンチン帝国の伝道から始まりました。スラヴ民族への伝道がはじめられると、すぐにキエフ朝ロシアが国教としてとりあげました。そして1492年に、ビザンティン帝国の滅亡によってモスクワがその権威を継承し、第三のローマになったことを宣言しました。このとき以来、正教はロシア文化の中枢となり、1917年まで国教として存在することとなります。
旅行記
実はロシアに向かう前にトルコとジョージアに行っていたので、ロシアへはイスタンブールから向かいました。
まずはスーズダリ
モスクワの周辺には中世の面影を残す古都が点在し、それが輪のように連なることから「黄金の環」と呼ばれています。
私はその中のスーズダリと、少しだけウラジーミルに訪れました。ウラジーミルはモスクワから北東へ約170km、スーズダリはさらに35kmのところにあり、教会や修道院が数多くあります。
まずスーズダリは1024年に記録上はじめて登場し、キエフ公国の最盛期となった時代には地方の中心都市として栄え、12世紀には大都市を築いていました。そして13世紀初頭には独立したスーズダリ公国が誕生します。
11世紀に初めてクレムリン(要塞)が誕生します。
その中にスーズダリ発の石造の教会としてウスペンスキー聖堂が建てられます。しかし、残念ながらすぐに建て替えられてしまったため現存はしていません。ウスペンスキー聖堂に代わって建てられたのがロジェストヴェンスキー聖堂です。
聖堂自体は再建・改修が行われていますが、聖堂内には聖堂の完成とほぼ時を同じくして、1230年頃に製作された「黄金の扉」が残っていて、展示されています。
すべての格子の中に非常に繊細な絵が金箔で描かれていて、まるでイコノスタスのようです
そして聖堂の室内は…
ほとんど室内360°を覆う色鮮やかなフレスコ画に、巨大な金のイコノスタス!
このほとんどが15~18世紀に修復されたフレスコ画ですが、13世紀当初のものも一部残っています。
クレムリン内にはこの他に木造のニコリスカヤ教会や主教館があり、国立ウラジーミル・スーズダリ歴史・建築・芸術保護区が所有する数多くの文化財が展示されています。
次はスパソ・エフフィーミエフ修道院
1352年に創設され、17世紀にリトアニア・ポーランド軍に破壊された後、現在に残る城壁が建設されました。
小高い場所にあるという立地や高い外壁から、クレムリンよりもこの修道院の方が「要塞」の雰囲気があります。
中には17世紀のイコンが残っています。
スーズダリは道を進むたび、角を曲がるたびに教会や修道院の建物などが現れ、まさに町全体が生きた博物館のようでした。
時間の関係で中には入れませんでしたが、ウラジーミルの
にも行きました。
次にサンクトぺテルブルク
モスクワ→サンクトペテルブルク間はレッド・アロー号で移動しました。一番等級の低い切符でしたが、豪華な内装です。
サンクトペテルブルクの一番の目当ては、血の上の救世主教会!
皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられた教会で、アレクサンドル三世の「教会内部の特別な形の宝座」の中にあること、「完全な17世紀ロシア様式で」という要求にこたえる形で建てられました。政治的方針を反映し、「ロシアの歴史的伝統」が重視されたのです。そして、25年もの歳月と多額の費用を費やし建設にあたりました。
サンクトペテルブルクでは、他にも
ペトロパヴロスク要塞
スウェーデンに対抗するために作られた要塞です。
ペトロパヴロスク聖堂
1733年完成。ピョートル大帝以後の皇帝が埋葬されています。内部はシャンデリアや大理石で飾られた非常に豪華な作りで、正教会というよりカトリック教会のような雰囲気です。
最後にモスクワ
ポクロフスキー聖堂。赤の広場にあります。
対モンゴルの戦勝を記念してイワン雷帝によって1560年に建てられました。現在は、国立歴史博物館の分館となっていて、内部には沢山のイコノスタス、イコン、祭礼具が展示されています。
赤の広場やその周辺は、夜になるとライトアップされていて、とても綺麗でした。
次はクレムリン
クレムリン内部へ。
ウスペンスキー大聖堂は、かつてのロシア帝国の国教大聖堂です。内部は1000人がかりで書かれたと言われているイコンとフレスコ画で覆われています。(撮影禁止だったので写真はありません…)
アルハンゲルスキー聖堂は、大天使アルハンゲル・ミハイルを祀って建てられた教会です。歴代のモスクワ公、ロシア皇帝の墓所となっていて、イワン・カタリ公からピョートル大帝の前の皇帝の棺が並べられています
さいごに
少し駆け足となってしまいましたがいかがでしたか?
何となく惹かれて来てしまったロシアでしたが、
壮大な建築、美しいイコノスタス、鮮やかなフレスコ画…と目の当たりにし、
その最初の感動に何か確信を感じることができた旅であったと感じています。
また、ロシアはビザが必要で面倒、何となく怖い、英語が伝わらないのでは…と不安要素が多かったのですがとても楽しむことができました。現地の方にも、道を教えてくれたり、英語がわからない駅員さんとの間の通訳になってくれたりと沢山親切にしていただきました。
正教会の魅力に執り付かれてしまったあなたは、海外旅行に行けるようになったら、ぜひロシアへ!ロシアは隣ですよ(*^^*)
参考文献
- T.P.チモフェ―エヴァ『スーズダリ』,FGUKヴラディミール・スーズダリ文化財保護区,アルカイム,2005年.
- ラリーサ・ベレツカヤ,ヴァレンティナ・ゼレンチェンコ『キリスト復活教会』国立記念博物館,2016年.
- 島薗進『大学4年間の宗教学が10時間でざっと学べる』株式会社KADOKAWA,2019年3月.
- 高橋保行『ギリシャ正教』株式会社講談社,1980年7月.
- 土肥恒之『ロシア・ロマノフ朝の大地』株式会社講談社,2016年9月.
その他、現地のガイドブックなど。