早稲田大学考古学研究会公式ブログ

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我孫子散歩

今週のブログを担当します、考研2年の廣田です!

私はこの自粛期間中に、地元である千葉県我孫子市をよく散歩していました。

その中で「我孫子って意外と史跡あるんだな~」と思ったので、今回は我孫子の史跡を紹介していこうと思います!

 目次

 

我孫子ってどこ?

 私はあるアイドルグループのファンなので、その昔の冠番組名をもじった見出しを付けてみました(笑)

そんなことは置いといて、まず千葉県我孫子市とはどんなとこなのか紹介していきたいなと思います!

①場所・・・千葉県の北西部に位置します。千葉県の公式キャラクターである

      チーバくん(気になる人は調べてみてね)でいうと、鼻の付け根から

      眉間あたりに相当すると思います!

 

②面積・・・約43㎢(我孫子市公式HP参照)

 

③人口・・・約13万2000人(平成31年度、我孫子市公式HP参照)

 

といった感じです!大きい市とは言えませんが、手賀沼(今は綺麗)など自然も豊かで、昔は白樺派の文豪たちの別荘もあり、「北の鎌倉」と呼ばれるほどでした。

 今回は史跡の中から、3つ紹介したいと思います!

 

(1)志賀直哉邸跡

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茶室風書斎(市指定文化財

志賀直哉は、1915年9月~23年3月までの約7年半を我孫子の地で過ごしました。

我孫子に来る前の志賀は父との確執に悩んでいましたが、我孫子にいる間に解決!!

そのおかげで創作意欲が戻りたくさんの著作を我孫子で書いたそうです。

 

我孫子で書いた作品として、父との不和が和解したことで書いた『和解』 や、有名な『暗夜行路』の一部などがあります。

 

さらに我孫子を題材とした小説には、『雪の日』(志賀は雪が降る日が好きだったみたいですが、極度の寒がりで仕事中は火鉢を焚いた上に、ストーブまでつけていたそうです)や『旅行感冒などがあります。

 

 

私は、我孫子を題材にした本をまだ読んだことがないので、今度読んでみたいなーと思います。

 

現在は、志賀本人がデザインし、佐藤鷹蔵(後述の杉村楚人冠邸の「澤の家」などを手掛けた)に建ててもらった茶室風書斎が、1988年に復元され残っています。

当時は書斎以外に、母屋もあったそうです。

 

(2)旧村川別荘

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旧村川別荘の門(市指定文化財

東京帝国大学の西洋古代史の教授であった村川堅固の別荘です。

 

彼がここに別荘を建てた理由は、彼が熊本の中学校に通っている際、その学校の校長先生であった嘉納治五郎(日本柔道の父、日本体育の父)が、我孫子に別荘を持っていたことに影響を受けたからだとされています。

 

1921年に母屋が、27年に新館(関東大震災を教訓にコンクリートが基礎に使われている)が建てられました。

 

1946年に彼がなくなると息子の堅太郎(彼も東京大学の西洋古代史の教授)に受け継がれました。ここで多くの学生たちが指導を受けたそうです。

 

(3)杉村楚人冠碑・邸

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澤の家(市指定文化財)と句碑

 杉村楚人冠は、明治生まれのジャーナリストであり随筆家でもありました。

東京帝国大学卒業後、アメリカ大使館を経て、朝日新聞社に入社。(「天声人語」は彼が命名

 

自由主義的な発想の持ち主で、日本の言論界を席捲していましたが、第二次大戦下の流れには打ち勝てず執筆をやめてしまいました。

 

また、俳句結社「湖畔吟社」を主宰し、若者の育成に力を注いでいました。

画像の句碑には「筑波見ゆ 冬晴れの 洪(おお)いなる空に」という彼の句が記されています。ちなみに楚人冠というのは彼の号で、本名は広太郎といいます。楚人冠とは中国の「楚人は沐猴にして冠す」という故事から由来していて「一介の野人である私が偉そうにものを言っている」という意味であり自分を卑下していることが読み取れます。

 

澤の家は、1922年に別荘として建てられましたが、2年後に家族そろって我孫子に移住しました。敷地内には、他にも母屋・茶室・蔵があります。

 

終わりに

今回このブログを書くにあたって調べているとき本当にたくさんの史跡があることに驚きました。

自分の地元って意外と知らないもんなんですね~…

また機会があれば、今回紹介できなかった武者小路実篤などについてもかいてみたいなーと思います!

こんなところで、今週のブログは終わりにします!お読みいただきありがとうございました!

(参考文献)

 我孫子市史研究センター著(1990)「手賀沼周辺を訪ねる」崙書房

 史跡にあった看板

(画像出典)

 画像はすべて私が撮影しました。