早稲田大学考古学研究会公式ブログ

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カゴンマ弁・コンプレクス

 上京以来2年の間、思うところも多々あって、この機にブログを書きつつ頭の中身をひっくり返してみようと思い立った。鹿児島弁と、それにまつわるコンプレクスなどについて。

文学部3年 緒方

 

 

1.自覚

 

 鹿児島から上京したのは2年前。

 早稲田が新宿区にあるのを知らず、中央線の中央が何の真ん中かもわからぬままに、中野駅から徒歩10分の中野区市街に引っ越した。徒歩圏内に理髪店、本屋、文具屋、靴屋、服屋、無数の飲食店に、さらにはコンサートホールが密集するとんでもない利便性に驚き、夜10時を過ぎても人通りが絶える気配もなく、夜空の雲が薄明るく光っているのを見て、「眠らぬ街」に戦慄した。

 

 当時住んでいたのは学生寮で、同じ部屋には青森、大阪、愛知(?)の同輩・先輩がおり、他にも香川、長野、バンコク、茨城、福岡、山形、その他色々な地域の人間が雑然と集まっていた。その中では特に自分が目立つということもなく、ワイワイ楽しく過ごしていた。

ところが大学は、自分が東京の人間ではないことを否応なく痛感させられる場所であった。

 

 早稲田といえば「蛮カラ」である。と、聞いていたものだから、てっきり、早稲田では日本各地から頭のキレる荒くれ者が集まって、日夜壮絶な頭脳的・肉体的死闘を繰り広げているものとばかり思っていた。さながら男塾である。そんなわけで講義初日、自分は弊衣破帽の伝統を重んじ、ヨレヨレTシャツに擦り切れたズボンを履いて、意気揚々と東西線早稲田駅に降り立った。

 ところが戸山の門をくぐれば、ここは渋谷か青山か、痩身の若い男女が流行りの衣装に身を飾り、コンクリ床を闊歩していた。故郷最大の繁華街天文館も霞むキラキラぶり、聞けば、学生の出身地はことごとく東京近辺であった。

 今や早稲田も全学生の7割が首都圏出身で、自分のようないわゆる遠隔地からやってきた地方学生は少数派なのだという。弊衣破帽の田舎学生はもはや文化財である。(その点、寮で同室であった先輩のO さんは早稲田精神昂揚会幹事長ということもあり大変な蛮カラ学生であった。特別天然記念物に相応しい。)

 

 首都圏に生まれ育った多くの人々と自分では、生活習慣、育った環境、知っていること、何もかもが違った。特に言葉には最も強烈に「違い」を自覚させられた。

 はっきり言っておくが、自分は鹿児島弁を喋る人間だと全く思っていなかったのである。むしろ、いつも単調な標準語を喋り、鹿児島弁のことは全然知らないとすら思っていたのだ。しかしいわゆる標準語(戦前の呼称であり、現在は「共通語」と呼ばれる)の世界に生まれ育った新たな友人たちの話す言葉は、まるでアナウンサーのようで、あまりの流暢さにめまいがした。

 この「アナウンサー弁」は真似できない。ちょっと気合を入れて考えながら話せばそれらしくはなるが、気が抜けると「あ。訛っているね」と言われてしまう。もちろん、方言絶滅の危機が叫ばれる今日、語彙の上では「標準語」と現在20歳程度の鹿児島人の話す言葉で大きな差はない。しかし抑揚のつけ方は、正解がわからない。どうしてみんなあんな複雑な抑揚を操れるのだろうか。

 

 上京後数ヶ月を経てようやく、「標準語」ではなく鹿児島弁を喋っていることを自覚したのである。

 

 

2.カライモ標準語

 自分のような者が話す「標準語」のことを「カライモ標準語」と呼ぶ。カライモとは、薩摩芋を指す鹿児島の言葉である。さて、ここではカライモ標準語話者の「標準語」だと思い込んでいる言葉をご紹介しよう。
 先ほどは「語彙の上では本物の標準語と大差ない」と大雑把に書いたが、実際は語彙・意味・抑揚においてA. 鹿児島弁特有の語彙だが標準語にもあると勘違いしているもの、B. 標準語の語彙だが意味が標準語の用法とは異なるもの、C. 標準語の語彙を利用し、鹿児島弁独特の用法をしているもの、D. 意味・語彙は一緒ながら抑揚の異なるもの、の4つほどに大別できそうである。

 

A. 鹿児島弁特有の語彙だが標準語にもあると勘違いしているもの
 もっとも単純な勘違いである。カライモ標準語話者にとってはあまりにも当たり前に使っている言葉で、それが全国共通の語彙だと信じ込んでいるもの。

 

Ex.1. 「てそい」

意味:面倒臭い

解説:この言葉がカライモ標準語話者に標準語だと勘違いされていることを知ったのは、自分が2018年に出身中学校で特にお世話になった国語の先生にお願いして中学生全数十名に対し「鹿児島弁クイズ」を出題した時である。平仮名表記で鹿児島弁特有の言葉を記し、回答者には標準語でその意味を説明するよう求めた。そうしたところ、「おやっとさあ」に対しては「お疲れ様」などと回答される中で、「てせ」に対し「てそい」と回答する者が全体の20%ほど存在した。「てせ」は、この言葉の鹿児島弁的な発音である。これを見るに、カライモ標準語話者には相当の割合で「てそい」なる標準語が存在すると思っている者がいる様子である。

 

Ex.2.「がられる」

意味:怒られる・叱られる

解説:元々は「がる(怒る)」 を受け身にしたものである。カライモ標準語話者の中で、能動的な意味で「がる」と言う者はあまりいない。しかし不思議なことに怒られる側の子供の方では「がられる」と表現する者が多い。ただし、純粋に鹿児島弁的な発音をすれば受け身の場合「がらるっ」になる。「れる」は標準語からのものである。
 ちなみに能動的な意味で用いる際は「がったくっ(激しく叱り倒す)」のように用いる。命に別状がありそうだ。

 

B. 標準語の語彙だが、意味が標準語の用法とは異なるもの
 語彙そのものは標準語にもあるが、その指し示すところが異なっているもの。おそらくカライモ標準語話者にとってはもっとも気がつかないものだ。

 

Ex.3.「直す」

意味:(元の位置に)戻す・片付ける

解説:壊れたものを修理する際にも「直す」と言うが、カライモ標準語話者はさらに「片付ける」の意味でも用いる。後輩の話では、どうも近畿地方にも同じ用法があるようだ。

Ex.4.「来る」

意味:行く

解説:子供同士の話で「あとで〇〇君げー(家)に来るからー」などとよく言っている。純粋な標準語話者からすれば主語がどちらかわけがわからなくなるのではなかろうか。

 

C. 標準語の語彙を利用し、鹿児島弁独特の用法をしているもの
 鹿児島弁独特の表現を、意味の似通った標準語で表し直したものである。

 

Ex.5. 「ですです」

意味:肯定。「はいはい」や「そうそう」にあたる。

解説:元々は「じゃっじゃっ」であった。「じゃ」は西日本に広く分布する断定の表現で、関東の「だ」にあたる。それを繰り返すことで会話の中で肯定を示していた。ところが標準語化の中でこれが同じく断定の表現である「です」を代用して同じ使い方をしているのである。本人は立派な標準語を喋っているつもりだが、東京ではまず聞かない。

 

Ex.6.「だからよ」

意味:肯定。「そうだねえ」にあたる。

解説:これも元々は「じゃらいよ」であっただろう。鹿児島弁ネット辞典(そんなものもあるんですな)によれば「〜であるらし」の転訛だとのこと。しかし「だからよ」では推量的な意味はあまり見られない。

 

D. 意味・語彙は一緒ながら、抑揚の異なるもの
 基本的に「カライモ標準語話者」は、まさか自分が「ナマっている」だなんて思ってはいない(それは本物の標準語話者の側からの評価である)。

 ただしA.B.C.とは異なり発音方法による区分であるから、AかつD,BかつD、CかつDも存在している。むしろ完璧に抑揚のみ標準語化している者は見たことがないから、基本的に鹿児島に生まれ育った者はDの勘違いをしていると見て差し支えなかろう。

 方言は文字に起こせる「語彙」から消滅し、抑揚・イントネーションという身振りそのものはかなり遅く消滅してゆくのであろう。テレビ・ラジオから「標準語」は聞こえるが、実際に発話しコミュニケーションをとる相手はその土地に生まれ育った人間である。そんなわけで「カライモ標準語」は令和の世にも生き残り、これからも長く残存してゆくのであろう。

 

3.方言コンプレクス

 

 方言には上記のような風変わりで面白い話や、最近若者がよく言う「〇〇弁は可愛い」などのように明るい話も多い。ところが一方で、社会的には差別の原因になったり、それで方言話者自身の手による方言撲滅があったりと、暗い側面もつきまとっている。そもそも、かつては方言は「恥ずかしい」とされていたし、鹿児島では今でもその風潮が残っている。 

 ここでは鹿児島弁にまつわる「闇」をご紹介しよう。

 

⑴ 方言差別(もどき)

 詳細に関する資料は手に入らなかったが、高度経済成長期の頃、方言に関する講義および父などからの話をもとにすると、東京に出稼ぎに出た者が虐めにあい、自殺をしたとか殺人をした、あるいは鬱病になったなどということが起きていたそうだ。

 何十年も前のこと、今では大昔の話。
 

 と、思ったらそれは大間違い、今でもその前駆のようなできごとは、自分の身に起きている。全て関東一帯出身の標準語話者によって行われたものであった。

 

■「訛っているね」

 もともと「訛る」にあまり良い意味は無い。だが、自分が標準語話者であると自認する者は、この一言の重みを知らないが故に、あまりにも気軽に口にする。もちろん気心の知れた人間ならばそれが純粋に方言の特徴を議論するきっかけとなるからよいのだが、中には何を勘違いをしたのか挨拶がてら言ってくる者もいる。

 ここは東京、自分はあくまでも「標準語」を喋る努力をしている。その中でうっかり漏れ出した鹿児島弁、それをいちいち手に取って見せびらかすような言い方は無礼である。
  方言話者は方言で話したくて話すわけではない。生まれついた環境の中で「身についてしまったもの」であり、その人の育ちを表すもので、気軽に他人が茶々を入れてはならないところだ。「訛ってますね」と言うのは、金のない者が精一杯の洒落た服を着ているのを見て「個性的な服装ですね」と言うのに等しいのである。

 

■決めつけ

 方言にはイメージがつきまとう。大阪弁には「面白そう」、京都弁には「上品」、江戸弁には「明るい」、そして鹿児島弁も例外ではなく、「温かみがある」「怖そう」「乱暴」などのイメージがある。そしてそのイメージは、言葉そのものの語感のみではなく、その地方を代表する人柄も内包している。
  東京に来て自分は好き勝手に暮らしているわけだが、周りはいちいちそれを「鹿児島の人だものねえ」と表現する。これほど理不尽なことがあるだろうか。一方標準語話者同士でそんなことを言っている様子はない。「まあ、新宿区だものねえ」とか「品川だからなあ」とかあっても良いではないか、と思うがそんな表現は聞いたことがない。しかし自分はことごとく良きにつけ悪しきにつけ「鹿児島」のせいになる。しかもあいにく、鹿児島弁話者だから、話をする限り自分は「鹿児島人」の名札をぶら下げているようなものだ。
  いつの間にか、自分は標準語話者とは違うカテゴリの人間として刷り込まれてゆく。まともに喋ったこともない人から「怖そうだと思っていた」なんてことも言われたが、これまた方言・地方イメージの影響もあるかもしれない。

 

 差別は、「自分たちではない人たち」を本人の意思とは関係なくカテゴリに括り出すことから始まるのだと思う。とすれば、これもまた自分を「標準語話者」から括り出し、レッテルを貼り付けるところまでは行っているのではなかろうか。

 今はまだ、方言に対する扱いが比較的ポジティブだから良い。だが数十年前はこのようにはいかなかった。こうなると、人はいつしか言葉の端々を切り取ってからかうようになる。もう同じ人間としては扱えない。あいつは「鹿児島の(田舎)者だ。」その結果、頼れる仲間もいない異郷の地で孤立して、追い込まれて、自ら命を絶ったり、加害者を殺めたり、あるいは精神に異常を来してしまったのである。
  

⑵ 方言札 ー 方言話者による方言撲滅 ー

■高度経済成長期

 鹿児島は、東京に住んでいる人(特にいわゆる「中流家庭」のひと)から見れば、恐ろしく貧しい土地である。工業地帯は無く、産業もロクにありはしない。薩摩藩時代は「薩摩77万石」などと言っていたが、あの広大な面積をもって「77万石しか」無かった、というべきであろう。どういうわけか近世以降生産高に対して人口が多すぎる土地で、一人一人の取り分は常に少なかった。そんな中で金銭を得るには「出稼ぎ」をするしかない。特に高度経済成長期は、東京・大阪など金と産業のある大都市圏への出稼ぎ者が多数現れた。

 

 その際、大問題となったのが「言葉の壁」である。


 最近話題になった「アルティメット鹿児島弁ニキ」をご存知だろうか。Youtubeで見てみると良いが、高度経済成長期の鹿児島ではあのくらいの(首都圏の者にとって)難解な言葉が話されていたのである。

 あのまま首都圏に来れば、話ができない。仕事がもらえない。鹿児島の人間にとって、標準語の習得は死活問題であった。そして、その習得を邪魔する「鹿児島弁」は、標準語に対する劣等感もあいまって、激しく攻撃されることになった。

■方言札

 鹿児島の教育者は、標準語を使いこなせるようにせねばならぬと考え「方言札」を考え出した。
 
 現代からすればとんでもないものである。
 父の話よれば、これはさらに数年年長の方から聞いたことらしいが、各学級に「方言札」なる札があり、それには「私は方言を話しました」といったことが書かれている。それを児童同士で「方言」を話した者に渡し、首から掛けさせたのだ。

 これが昭和30年代半ばまで行われていたという。ここで刷り込まれた「方言」への悪印象は強烈なものであっただろう。

 

⑶いまに残る方言コンプレクス

 

  方言に対する評価が上がり、付加価値すら生じている現代ではあるが、我々の親〜祖父母世代はかなり強い方言コンプレクスを残している。

 「そんな汚い言葉、使うな」

 自分は親からそう言われながら育ってきた。親自身、「鹿児島弁」を汚いものとして考えている。また自分も、方言を話していることに気づかれる恥ずかしさを強く持っている。このコンプレクスは、「時代が違うよ」などの言葉では片付けられない。方言話者をその言葉をもとにして区別するようなことを標準語話者たちが行う限り、このコンプレクスは解消されないであろう。
 

4.多様性を受け入れる難しさ

  多様性を受け入れよう、と世間ではうわごとのように言っている人がいる。なるほどこいつは聞こえがいい。だが、唱えているのみでは何の意味もない。小学生でもわかることだが、「唱えているだけじゃダメ」の意味を理解していない者があまりにも多いのではないか。

 ここまで読んだ奇特な読者の中には「ああ、でも自分はそんなことはしないよ」「そんなこと思わないよ」などと思っておられる方もあろう。だがそう思った時点でアウトだ。誰も、わざわざ方言話者を貶めてやろうなどと思って無神経なことを口にするわけではないのである。だから、そんなことをした覚えがいちいちあるはずはないし、考えようとして考えているわけではないのだから「思わない」のは当然だ。

 まずは「無意識にでも、何か方言話者に対して言ってはいなかったか?」と反省することが必要だろう。そしていざ方言話者に出会った時、どう振る舞うべきかを考えることが必要だろう。先述のカテゴリ分けなどは、無意識になされてしまうことだ。それにストッパーをかけるのは、理性に他ならない。

 「多様性を受け入れる」といったとき、そこには大変な数の「異質な者」が現れる。それを本当に受け入れることができるのかどうか、そもそも「受け入れる」などと表現するのは傲慢ではないか、そしていつの間にか自分が「審判」として誰かに何かを押し付けてしまってはいないか、と、反省に次ぐ反省を重ねなければ本当の意味で「多様性を受け入れる」ことにはならない。

 その一助に「鹿児島弁」が役立つのであれば、その一話者として幸いである。

 

 

【参考文献】

kagoshimaben-kentei.com

 【その他】

この話をまとめるにあたり、1957年鹿児島県日置市生まれの父の話を参考にした。